今回で投稿が22回目となります。
よく教会では「原理数」と言って、3,4,7,12,21,40という数字を重要視します。
詳しい説明は、「原理講論」の「第三章 摂理歴史の各時代とその年数の形成 」の「第二節 復帰基台摂理時代の代数とその年数の形成」を読んでください。
私も何とか、21数は達成したいと思い何とかブログを更新してきました。
「霊界」に関する内容を取り扱うことは、時にはとても危険性が高くなるといわれています。
「霊界研究」に携わることにより、霊界に引っ張られてしまう方も多数いると聞いています。
私もいつ、あちらの世界に行くようになるか解らない、いわゆる「危ない橋」を渡っているようなものです。
私はある意味、「霊界」にチャレンジしています。
「総序」で私たちは「堕落」によって、「霊的無知」に陥ったと書かれています。
「霊的無知」に陥ったことにより、「霊界」が解らなくなってしまったといわれています。
私たちは、「霊界」からくる様々な情報に対し、真偽を探るすべもなくその情報に振り回され、踊らされてしまうことも多々あります。
「神様がこう言っているから、こうしてください。」と多くの宗教指導者がが信仰者に対し、支持をしてきました。
私の信仰する教会も同じです。
ある意味、他の宗教よりその傾向が強いかもしれません。
私は、個人的にはそれらの内容を受け入れ信じています。
しかし、私は、宗教に利用される帰来のある「霊界」をある意味宗教から独立させることは出来ないだろうかといつも思っています。
「総序」にも書かれている様にもし宗教がこのまま、宗教であり続けることを良しとするのであるならば、宗教と科学とが統一された一つの課題として解決され、内外両面の真理が相通ずるようになるということがいつまで経っても実現されないと思われます。
主観視される「霊界」をある意味、自然科学的に客観視し、本来の「霊界」の姿を明解にできないだろうか、と思います。
宗教的事情により「霊界」を宗教的信仰の対象にすることはいたしかたがないと思いますが、
そのような中でも、
「霊界」を科学的に解明していきながら、「霊界」の機能、特性を活かして、「霊界科学」の確立を通し、人類の平和と繁栄の実現をはかり、
「霊界」の住人との交流を実現させることにより利害の追及ではない、文化芸術等を中心とした
教会で言っている「心情文化世界」の実現をはかることができるよう、研究等の取り組みをしていくことがとても重要であると思っています。
わずか21回の投稿ですがかなり疲れました。
ある程度のことは書けたと思いますので、これからは、週一というペースを止めます。
今までの内容をもとに、試作品をつくり実験を繰り返していく必要があります。
経済的事情もあり、試作品の制作にも時間が掛かると思われます。
時々、更新すると思いますので、ご関心のある方は覗いてみてください。
今までの投稿の内容は、私、個人の考えであることを御了承ください。
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